石田徹也に会いに行く。よたび。(静岡篇) [石田徹也]
8月17日、高速バス“駿府ライナー”にて静岡まで行ってきた。もちろん、石田徹也に会いに、だ。
なんせ日帰り鈍行列車強行軍のつらさは前回の静岡行きでもって経験しとるんで、今回は朝一の高速バスを予約。ネット予約とクレジットカード決済なら、なんと往復で4280円とゆーびっくり価格!!
朝8時半には新宿出発なので、ふつーの生活しとるヒトビトにはどーってことない時間でしょうけれど、昼夜逆転だらだら満塁押し出しフォアーボール生活(ってなんぢゃそりゃ?)なワシにとってはとてつもない早起きをせねばならんのね。だから6時半起き予定。
さて、そんなワケで神経が興奮しとるもんだから、ちゃんと6時には目覚めました。って30分も早いぢゃん!
JR新宿駅南口改札の下に仮設のバスターミナルがあるんだけど、ここは初めて来たなぁ。なんかターミナル感がないじゃん!って仮設なんだからしょうがないか。もっとも去年の大阪行きで乗ったバスなんて、のりばがただの路上だったもんなぁ。。。そんなもん?日本のバス文化って。
さて、現地へ着いたらkoneetaさんが案内役を買ってでてくださっていたのね。突然のワシ日程に合わせていただいたのに手ぶらでわいかんよなぁ、、、などと思いつつも、「ひよこ」(ホントは博多銘菓)一箱買う余裕もやばいんで、アキバ名物「おでん缶」などとゆージャンキーなものをkioskで購入。
車内はガラガラにすいてて(お客は総勢7名くらい)となりの座席に人はおらんからぐぉーぐぉー寝ているうちにお昼前に到着した快適な旅でありました。
新静岡駅前バスターミナルにてkoneetaさんのお出迎えを受け、腹ごしらえ。その後、コニカー(koneeta car)にて静岡県立美術館へと連れて行っていただきました。
この美術館一帯は公園と大学が一緒になった広大な敷地で、美術館そばの駐車場はイッパイだったので離れた駐車場に。そこから現代彫刻がところどころに点在する森山を登って美術館へ。
をを、立派な建物。
脇にはモビールな彫刻池もある。
裏はロダン館だそうで。
さて、目的の石田徹也展は、こんな紙と文字だけの案内。
ここからは撮影禁止だから撮ってないけど、「県民ギャラリー」はワシの無責任な勝手想像とは違って、とても広い会場でありました。
その会場に石田徹也のほぼ全作品がゆったりと展示され、実に濃い内容でありました。
それなのに入場無料って、貧乏なワシにはありがたいけれど、ちょっとどーなのよ?ちゃんと入場料とって見せるような展示でしょ〜?と怒ってもしょうがない。裏事情もいろいろあるようだ、とkoneetaさんからちらっと聞いた。
客層は意外にも(って今までは多分彼の絵にシンクロしちゃったであろう若者が多かった)大人なヒトビトが多く、夏休みのせいなのか、子連れでもありました。
まぁ、通常の美術展の客層、みたいな感じかね?
で、展示をじっくりと見る。
年代順に並べられているので、彼の思考の変遷がとてもよくわかる。
初期(とあえて言わせていただく)の作品群がマスコミで有名になり、そういう作品がテレビに大映しになる度に日本全国でザッピングしていたリモコンの手が止まり、自分の気持ちとシンクロしちゃったヒトビトが「石田徹也」をキーワードにぐぐってワシのへっぽこブログのアクセス数がまた上昇、、、てなことが定番になっちまってるようだけれど、それらは石田作品の初期のものである、と断言しちゃいます。
中期(とあえて言わせていただく)にイラストレーターの仕事として受けた『のほほん人間革命』(角川文庫)や『Number』誌の掲載作品(かなり多い)は、コミカルな、かつエンターテインメントな作風で、観ているとつい吹き出してしまうけれど、筆致はさすがに石田徹也。手抜きがないです。
その『Number』誌で描いたコミカルな消防士のモチーフは、その後何度も登場し、とても重要なメッセージが込められているように感じた。
はしご車のてっぺんのカゴに乗った石田の分身消防士が両手を差し伸べてだれかを救出しようとしている。しかも、彼の足下にはまだ小さな子どもがふたりいて、ひとりは同じようなポーズをしている。背景は黒煙がもうもうとたちこめているのだが、巨大な作品に描かれている彼等はこっちに目線があるのではなく、画面の左方へと微妙に向けられている。
はたして、消防士たちは誰を救出をしようとしているのか?それとも、そもそも救出ということをしようとしているのではないのかもしれない?等々いくつかギモンが湧いてきた。
この中期頃から、なぜかちいさな子どもが彼の絵に繰り返し登場するようになる。「無垢の存在」である子どもを登場させるには彼なりに意味のあったことなのだと思うけれども、本当のところは石田徹也しか知らない。
あるいは例の「創作ノート」を読み解けばわかるのかもしれない。。。
その「創作ノート」も現物が何点か展示してあり、彼の几帳面さ、あふれてくる創作のメモ、デッサン、そして日記と、生活のすべてを創作につなげていった姿が想像された。
そして後期、最期の頃。
性への違和感というか罪悪感のようなテーマも何度か登場する。そうかと思えば聖母のような女性に抱かれている姿などもいくつか見られる。
また、繰り返し描かれる緑の草原のある部屋。ここにも小さな子どもが登場し、リハビリという作品では石田の分身の腕をにぎり、あっちへ行こうよ、と促しているようにも見える。
その「あっち」は「あちらの世界」に見えなくもないけれども・・・
マスコミが造り上げた「無名で貧乏で苦悩のうちに魂をすり減らして亡くなっていった画家」というストーリーは、悲劇的で大勢に受け入れやすく、かつ同情を誘うようにできているけれど、今回の本格的回顧展を観て、やはり石田徹也は「次」の次元へ進んでゆくことを強烈に欲していたのではないか?マグマのように地下深くから沸き上がる創造のパワーを「次」に向けようと模索をし続けていたのではないか?とワシは思った次第。
ああ、、、、中途半端にワシが語ってもしょうがないか。。。
そもそもワシ自身も考えがまとまっていないし。。。
石田徹也遺作画集
その後、美術館を後にして、コニカーでもって静岡案内をしていただきました。
江戸時代の東海道薩埵(さった)峠に連れて行ってもらったものの、水蒸気が多くて富士山は望めず。。。日頃の行いの悪さのせいか?
そのふもとの宿場町跡は今でもその佇まいを残していたり。
しかし、途中途中でワシがみょ〜なモノにやたら萌え反応するもんで、koneetaさんも半分面食らっておりました。(笑)
まぁ、清水港の白い巨大キリンクレーンとか、トレーラーの台車をななめにたてかけておく巨大ラックとか、日本平のアンテナ塔sとか。
あげくの果てに、↓こんな警報機にも。
いや、あはははは。
どうにも産業構造物とかに萌えてしまうワシ。
きっと『火の鳥』復活篇の主人公のようなものなのかもなー・・・
そんなこんなで帰りのお時間となりました。
koneetaさん、誠にありがとうございました。(深い礼)
どうか学生さんにも「石田徹也の読み方」を伝えてくださいまし。
こんにちは!
ようやく見に来ることができました。
私は絵については全くの素人の見方しかできないですが
自分ととことん向き合って描き続けたのかなぁと、
石田さんすごい人だなぁと思いました。
絶望的な気分になったり、どきっとしたりもするけど、
しばらく見てると不思議に勇気の湧いてくる絵でもありますね。
あ、でも私、大槻ケンヂさんもかなり好きなので、
あ、この人かぁ!というのもありました。
そうだ、そうだ。
筋少の曲を聴いたときの気持ちに、ちょっと近いですね。
石田徹也さんの公式サイトも見てきました。
教えていただいてありがとうございました!
パノラマ写真も素敵ですね。
私も工事中の景色を見ると何かワクワクするので、
シンヤノハイカイ写真お気に入りのがいっぱいありました!
また、ちょくちょく見にきますねー!
by mirimiri (2007-12-15 22:10)
mirimiriさん、どもす!某所忘年会ではどもでした。
そうですねぇ、、、石田徹也は自分の内面とか自分の見た世界とかにまっすぐ、ホントにまっすぐ向き合ってたのかもしれません。そういう意味で直球勝負だったのですよ。きっと。。。
凡人ならそこは見ないようにしてるのですけどね。
彼の作品をテレビやweb、印刷物で見た人が、彼の原画(これが巨大!)を前にすると、その筆致からあふれ伝わるエネルギーというかオーラに圧倒され、安心するようです。
mirimiriさんも、機会があれば観てくださいまし。
ワシのパノラマやシンヤノハイカイを気に入っていただきさんくすです。
まぁ、地道にしつこく撮ってますんで、そのうちなんとかなれるようになんとかしてます。なんだそりゃ?
よろしゅーです。(礼)
by StudioDeluxe (2007-12-16 00:18)
え〜、上記記事中の石田作品へのリンクが、その後変更されていたので、修正してみました。
by StudioDeluxe (2007-12-16 00:24)